メーカー勤務から翻訳の道へ Part 1

私が思い切って翻訳の道に進み始めたのは

社会人になって10年以上経った頃。

その経緯をちょっと振り返ってみようかな。

 

大学卒業後、就職したのは日本のメーカー。

希望通り英語力を活かせる部署に配属されたおかげで

海外の現地法人や代理店とのやりとりが中心の日々から

時々出張にも行けるようになって、

個人ではなかなか行けないような国にも行けた。

 

でも業務量は多いし、毎日時差との戦い。

ただただ忙しい日々を回すのに必死で

泣きながら会社に行くほど辛い時期なんかもあったけど

そんながむしゃらな日々を過ごしたおかげで

たくさん学んだし、たくましくもなった。

 

果たして自分はずっとこの調子で

働き続けられるのかな?

って悩むフェーズが定期的にあったけど、

毎回、辞めるのはいつでもできる。

行けるとこまで行ってみよう。

って結論に至って走り続けた。

 

たぶん初めて本格的に転職活動的をしたのは結婚したとき。

このままでいいのか?って気持ちが強くなって

転職サイトに登録したり、実際に面談受けてみたりした。

 

でも、結局具体的な「やりたいこと」がない限り

転職のメリットは「収入アップ」とか「働き方改善」になっちゃって

どちらも保証されるような転職先は見つからない。

福利厚生の観点では当時自分が働いていた会社が

とても恵まれていると、改めて実感して転職活動を終了した。

 

その後は、子供ができるまではとりあえず続けてみよう。

いざ子供ができた時は、復帰してみて考えよう。

復帰した時は、2人目できるまで続けよう。

2人目できた時は、また復帰してみて考えよう。

ってな具合にとりあえず進んでみた。

 

でも、実際に2人目産んでから復帰するとき気持ちが変わった。

 

もう3人目は産まないとしたら、

自分で舵を切らない限り

このまま働き続けるんだなと…

 

今までは、自分の意思だけでは決められない

ライフステージのタイミングに任せて

進んできたけど、

ここから先は、ただ成り行きで走り続けたら

時間ばかりが過ぎて終わってしまうな…と。

 

そう思うと恐ろしくなって、

これからは、自分の働き方、生き方、

意思をもって舵取りをしていかなきゃな

と、思った。

 

そしたら、ターニングポイントは

2回目の復職をしてから

1年半くらい経った頃にやってきた。

 

〜つづく〜